気まぐれ日記 2011年1月
2010年12月はここ
1月1日(土)「初詣と初仕事・・・の風さん」
除夜の鐘が鳴り出す寸前に階下へ降りた。
そして、午前零時とともに、家族と新年の挨拶を交わした後、私はこのときとばかり、雑誌「大人の科学」の付録の二梃天符時計を作り始めた。
解説によると1時間半はかかるらしい。
時計用ドライバー、はさみ、CRC556などを用意して、解説通りに慎重に作って行った。
なぜか皿ネジが2本余ってしまったが、どうにか完成し、ネジを巻くと、コチコチと懐かしい音を立てながら動き出した。時計を見ると2時間もかかってしまった。老化のせいかもしれない。
とにかくこれで安心して寝ることができた。
7時間ほどの睡眠で起床した。窓の外を見ると、冷たい風が吹いているのがよく分かる。
年が変わったので、ネットで本を大量に発注した。資金は乏しいが、今年の経費として計上できるので気持ちが少しゆるんでいる。
年賀状がどっさり来ていた。自分の出した年賀状が相手に届くのは明日か明後日だろうなあ。
出していない人から8通来ていた。いちおう想定範囲内だ。急いで追加印刷した。
お昼過ぎにようやく家族がそろった。
お屠蘇を全員に注ぐことができるのも、年月の経過を感じる。末っ子の次女は、今年成人式である。
午後、ワイフと恒例の初詣に歩いて出かけた。近所の神社である。少し酔いが残っていたせいか、それほど寒さは感じなかった。追加印刷した年賀状も投函した。
帰宅して夕飯までに、乱雑になっている本の整理をした。昨年の夏休みから懸案になっている整理の10分の1くらいの規模だ。10分の3くらいまでは、現状から物の移動で済むが、それ以上は新たな本箱を購入しないとできない。前途は多難だ。執筆は365日不休だが、この本の整理は今年の初仕事と呼んでいいだろう。
1月2日(日)「連日執筆・・・の風さん」
朝から快晴である。しかし、木々の枝や葉が揺れているから風はある。
今日は、出していない年賀状が4通来たので、印刷した。昨日が8で今日が4だから明日は2だな。
今日は連載原稿と依頼されている原稿の準備に専念した。資料をたくさん読み込むことで、次第に書く意欲が盛り上がってくる。そして、原稿の着眼点みたいなものがひらめけば、さらにテンションが上がって、気力が続くのだ。どうも私の執筆は気合が入らないとできない作業のようだ。
今夜は、家庭内焼肉パーティとなった。残念ながらバイトの長男だけがいない。4人で1kgの牛肉をたいらげた。これでパワーがつけば最高なのだが、老化はてごわい。
一緒に飲んだビールで酔ってしまったので、テレビで「サスケ」を見てしまった。
見ているだけで、こちらも力が入る。
いちおう満足して書斎に戻り(もう翌日になってしまった)、とりあえず昨年の大晦日の分の気まぐれ日記を更新した。
1月3日(月)「エンタメ時代小説のストーリー作りに専念・・・の風さん」
連休も残り3日となってしまった。
ちょうど1年前と同じように焦っている。1年前は学位論文で、今は作家の原稿だ。
今こうしていられるのも、1年前から常に目の前に立ちはだかっている困難を乗り切ってきたからだ。それなら、これからも乗り切っていけるだろう。
今日は、エンタメ時代小説のストーリ作りに取り掛かったら、勢いが出てきたので、そのまま突っ走ってみた。3巻分を一気に考えているのだが、結局、1巻分までしかできなかった。
昨日の予想通り、出していない年賀状が2通来た。8、4、2通ときたから、明日は1通で、今年の年賀状追加印刷は無事に終了するだろう。
年末に書斎にセットしたCDプレーヤーが、執筆の緊張をやわらげてくれる。
何とか、この大ピンチを乗り切らねば。
1月4日(火)「執筆は進まない、年賀状はまた印刷・・・の風さん」
今日こそ頑張らねばならない原稿があった。
だから、あまり寝坊せずに起きて、……と階下へ降りたら、昨夜友達のところに泊まって帰らなかった次女が早朝帰宅したらしく、また出かける用意をしていた。超人的なパワーを持っているな。親譲りだろうか。いや、少なくとも私のDNAではない。
今日はとことん頑張っているが、全然進まない。
気分転換に郵便受けを見たら年賀状が来ていた。昨日の予想では、出していない相手からの年賀状は、今日は1通になって、今年は終了するはずだった。
ところが!
チェックしたら、なんと、6通もあった! いったいどうなんてんの?
急いで印刷した。
また名古屋へ帰る長女に投函を頼んだ。
1月5日(水)「今夜も徹夜・・・の風さん」
何が何でも終えなければ、と思って、今朝の5時半までぶっ続けで執筆に専念したが、そこでダウンして、2時間半の睡眠をとった。
再び起き出して、また気合を入れて取り組んだ。
もう郵便受けを見ている余裕もない。今日は連休最終日である。
昼食後、さすがにまた眠くなって、3時間、仮眠した。今朝と合計すると5時間半。なーんだ。これじゃ、徹夜した意味がない。
夕食まで、もう1件の原稿を集中的にやった。とりあえずキリのいいところまでやって、先に出版社に送ることにした。
よし。今夜も徹夜態勢だ。
外が真っ暗になった頃、ようやく郵便受けをチェックした。
出していない相手からの年賀状はなかった。ホッ。
1月6日(木)「完全徹夜明け・・・の風さん」
昨夜の続き……結局、未明まで集中的にやったが、とても最後まで書き上げることができないことが判明したので、最後まで書くとどんな原稿になるのか推定できるようにまとめることにした。
そして、出社前にそれを出版社へ送信したのだが、もはや10分の仮眠時間も残っていなかった。やれやれ。
完全徹夜明けだとワイフに自慢しながら家を出た。
「あなたもそうだけど、クルマも調子が悪いかもしれないから、気をつけて」
そうだ。ミッシェルは年が明けてから一度もエンジンをかけていない。
それだけ執筆に集中した正月休みだったのだ。
集中していたというと聞こえはいいが、単に効率が悪かっただけ、それと、炊事も洗濯も生活必需品の買い物もやる必要がない、超お気楽、贅沢な生活をしていたからできたことを肝に銘じなければならない。
今日はすごい会社生活だった。
製作所へ出社して年賀放送を聴き、本社へ行って兼任部署の大きな年賀式、昼食後、T製作所へ行きやや大きな年賀式、再び製作所へ戻って小さな年賀式、夕方からO市へ移動して新部署の年賀式に出席した。最後は、ミッシェルのハンドルを握りながら、気持ち悪くなってきた(乗り物酔いに似た症状)。限界が近かったのだろう。
結局、4つの年賀式をハシゴして帰宅したのだった。
まだ年賀状が来ていた。しかも出していない相手から。信じられない。
夕食後、書斎に入ってできる限りのことをやろうと思ったが、沈没寸前であった。
でも、必死に目を開けながら、一関市博物館主催の「和算に挑戦」に挑戦している二人に参考データを送った。私も時間的な余裕ができたら挑戦したい。
1月7日(金)「七草粥・・・の風さん」
久しぶりに7時間の睡眠をとった。幸せな気分。
出社途中でコンビニに寄って年賀状を投函し(まだ投函している(笑))、とりあえず製作所へ出社。新勤務先のパソコンがまだ設定途中なので、直行すると何もやることがない状態になりかねないから。
午前中いっぱい雑用を片付けたが、……終わらなかった。
午後になって、新勤務先へ移動。田舎道を選んで走る。なかなかいい気分だ。昨日は、意識朦朧として、多少吐き気も感じながら走ったのだが、ずいぶん昔のように感じる。
4回目の荷物(ほとんど書籍)運搬で、机の引き出しの中がほとんど一杯になってしまった。予想通りだ。書籍類はあと1回運び込むので、それで完全に一杯になってしまうだろう。
書籍以外の荷物はどうするのか。ちょっとヤバイかも。
あとは新職場の人たちと、慣れるために色々な打ち合わせをした。
こういったことをしばらく続けていかないと、新しい仕事もスムーズにはできない。
しかし、私は何でも本音でストレートなので、受け入れてくれる人は一気に親しくなれるが、そうでない人は最初は敬遠するだろう。それは仕方ない。片足が棺おけに入っているような人間なので、あとしばらく我慢してもらうしかない。
帰りにミッシェルに給油してから帰宅したが、けっこう時間がかかったな。
夕食は七草粥。運動不足で栄養過多なので、1年中七草粥でもいいくらいだ。
出さなかった人から届いた年賀状への返すための年賀状を、また2通印刷した(笑)。
これで本当に終了だと思う。
執筆は明日から頑張ることにして、今夜も早く寝よう。
1月8日(土)「頑張ってはいるが・・・の風さん」
ようやく元気になった(気がする)ので、手当たり次第に仕事を片付けていった。
秋高の先輩である佐々木常夫さんの『働く君に贈る25の言葉』を読んでいたら、若いころのことが思い出され、もう一度初心に帰って頑張ってみようと思ったからだ。ちょうど今から1ヵ月後にお会いすることができるので、ちっとはマシな人間になっていないといけない。
佐々木さんの本によれば、仕事というものは8割は雑務だ、問題は重要な2割を選んでちゃんとやれるかだ、ということで、雑務ばかりに目がいって、2割を見逃しているような気がしてきた。そうは言っても、その2割だけやればいいというわけではないので、雑務の比率が多いのは仕方ないと考え、とにかくめげずにやることにした。
それで、今日は、いくつか躊躇していたメールを出した。躊躇していたのは、返信が来て、対応することで忙しくなるのを恐れていたのだ。
すぐに返信は来なかった。
少し気が楽になった。
この調子で、午前3時半まで頑張ったが、振り返ってみると、今日もあまり目立った進捗はなかった。やっぱり脳が萎縮して仕事の効率が激しく低下しているのかもしれない。
1月9日(日)「頑張っても頑張っても・・・の風さん」
今日こそは原稿を仕上げるぞ、と元気に起床した。
久しぶりに気力が充実している。……しかし、一昨日から口内炎を発症していて、舌が痛い(笑)。
じっと座って根を詰めていると肉体にもよくないので、何度も椅子から立ち上がり、そして、フリーズした頭をリラックスさせるため、途中で本を読んだりしながら、とにかく執筆を続けた。
しかし、昼になり、夕方になり、そろそろ星も出ていようという時刻になって、また覚悟を決めることになってしまった。
「徹夜で取り組むしかない」
夕食後、少し仮眠したが、それからは、朝からの状態がずっと続いた。それでも、まだ明け方までにはもしかするとできるかもしれないという期待があったのだが、甘かった。
午前5時に、正月休み明けと同様に、途中で提出することにした。
もう10日の朝になっていたが、気分的には9日の延長だったので、出社前に1時間だけ横になることにした。
1月10日(月)「20歳の娘の情報交換・・・の風さん」
新職場のマネージャークラスの情報連絡会に出席するため、T製作所へミッシェルで直行した。
それが終わってから、元職場のA製作所へ移動した。
今日は成人の日なので、道路は少し空いているような気がした。
その成人式に、今頃次女は出席しているはずだ。
次女と同じ20歳の娘をもつ3人が、昼食時に情報交換した。これは私の提案で、世代が違っている娘の行動が、父親としては心配だし理解できないので、情報交換することで、実は世間並みであることを確認したいのだ。
X氏のお嬢さんは、入学した大学のあるK市から帰ってこない。当然成人式にも出ない。
Y氏のお嬢さんは、成人式に出るため、入学した大学のあるG市から帰ってくるそうだが、帰ってくればきたで、なぜか元カレと会ったりしているらしい。
うちの次女も含めて3人の共通点は、実家にいたくないこと、自立した気分を味わいたいことらしい。この延長線で、社会人になって、何かの仕事でバリバリ働いて、か弱い男どもを蹴散らして生きていくような気がしてならない。日本の未来は女性に託すしかないのだろうか。
昼食後、席に戻ってまもなく爆睡してしまった。
帰宅してもすぐ寝るわけにはいかない。
児童文学の主人公の年譜とあとがきのゲラを校正し、封筒に入れて、わざわざ郵便局まで行って投函した。明日の朝は、そんなことをしている余裕はないからだ。
私が就寝する時刻になっても、次女は帰宅しなかった。
1月11日(火)「鏡開き・・・の風さん」
まともな睡眠時間をベッドの中で過ごして起床した。
新職場へ初めて有料道路を使って出社した。片道34km、50分かかった。これからもっと短時間にたどり着ける方法を研究しなければ。
4月に名古屋で講演をするのだが、そのパンフレット(案)が届いた。顔写真を指定のものと交換してもらったので、少しホッとした。前のままだと、講演者の私は、棺おけに片足を突っ込んでいて、脳も萎縮しているのが簡単にばれてしまう。
あと、パンフレットの記載事項について、さらに希望が生じたので、これは電話で伝えた。
夕方、新職場で面白い行事があった。鏡開きだ。これがなぜ面白いかというと、私の勘違いが原因である。
私は、鏡開きというからには、どこかにお供えしてあったお餅を、全員の見ているところで割るか切るかして、それを焼いて、お汁粉にして食べる……とここまで書いて、あらためて自分の勘違いが分かった……と思ったのだが、違った。
定時後になってオフィスの全員がぞろぞろと食堂へ向かった。私も何となくうきうきしながらついて行った。
食堂についてすぐ配膳口に並んだので「あれ?」と思った(遅い!)。
漬物とミカンが添えられたお汁粉をもらって席について、あとは食べるだけ。
全員がもらってもまだたくさん残っていたので、ほとんど全員がお代わりした(笑)。
「この中に入っている餅はお供え餅じゃないの? どこに飾ってあったの?」
質問しても誰も答えられない。
それもそのはず、新職場のどこにもお供え餅は飾ってなかったのだ。
費用がどこから出ているかも分からず、我々は美味しいお汁粉をありがたくごちそうになったという、何とも情けないイベントであった。
満腹状態で帰宅した。今朝と同じルートを逆に走った。40分かかった。
今朝未明に帰宅した次女は、午後まで爆睡し、夕方から起き出して、今度は彼氏と遊びに出かけたという。恐るべきタフさ(私と一緒にしないでほしい)。
自宅でも鏡開きになり、腹がはちきれそうになった。
今夜は履歴書を2通処理した。どちらも4月から研究員として活動するためのものだ。もちろんボランティアで、世のため人のためにやるだけ。
1通は関孝和数学研究所用。これは印刷して写真も貼って、封筒に入れた。
もう1通は、N大工学部用。これは2度目の訂正で、データで先生へ送った。
1月12日(水)「戸締り当番・・・の風さん」
今日はマフラーと湯飲みを持って出社した。え? なぜマフラーと湯飲みなのか?
新職場には仕事柄お茶のサーバーがあるのだ。あまり動き回ることのない仕事になったので、これは便利だ。元職場の製作所には近くにお茶のサーバーはなかった。本社勤務のときは、仕事中にお茶を飲んでいる余裕などなかったのだ。
湯飲みは長男が小学生のときに使っていたものだ。
今日は数回お茶をもらいに行って、隠居のような気分を味わった。
しかし、実は、この新職場はオフィス内が寒いのである。
途中からマフラーを上着の内側に巻いて暖をとった。
昨年学会に投稿した論文が受賞したことで、社内表彰を受けるのだが、その知らせが届いた。ずいぶん大げさな合同表彰式で、最後は立食式のパーティになるようだ。
昼休みに、ケータイで鳴海風宛てのメールチェックすると、大野先生からビックリメールが届いていた。先生が推薦してくれている私の非常勤が実現しそうなので、至急履歴書を送れ、というのだ。
(至急ったって、無理ですよ、先生。私は、今、会社にいるのですから)
それで、大学へ電話してみたら、運良く先生が在室だった。
履歴書は今夜帰宅してから作成することになったが、先生は、仮の履歴書を自ら作成して送っておいてくださるという。まるで父親のように面倒見の良い先生だ。感謝感謝。
だからといって、今日は定時になってもすぐに帰宅できない日だった。
戸締り当番なのである。しかも、1度日程を変更した、新職場で初めての戸締り当番だった。
じっと我慢して席で資料を読んで過ごしていたが、新米が遅くまで残っているのは気の毒だと思ったのだろう。皆がいつもより早く帰宅しようと焦っているのが分かる。申し訳ない気持ちになったが、いちおうとぼけていた(笑)。
結局、全員が退社して、すべての戸締り点検が完了したのが7時45分だった。実に早い戸締り時刻になった。助かった〜。
管理人室へ電話すると、夫婦で飛んできてくれた。ご夫婦も新米の私を気遣ってくれていたようだ。世の中は、こういった心優しい人たちで支えられているに違いない。
今夜はミッシェルのアクセルをやや踏み込んで帰宅した。
所要時間は35分だった。
夕食後、必死で履歴書をまた作成し、大野先生へお届けした。
1月13日(木)「ドイツでも着たセーター・・・の風さん」
新職場は寒い。会社で決めている空調の冬期温度設定19℃を守っているのはいいが、オフィスの天井が高いせいで、机から下がやけに冷え込む。年寄りみたいな言い方だが、実際年寄りでもあって心中複雑な思いではあるが仕方ない、デスクワークをしていると寒さが気になる。お茶場から熱いお茶をもらってきて飲んでも、なんの対策にもならない。
それで今日は、ワイシャツの上にセーターを着て出勤してみた。
このセーターは、かつてドイツの最高峰Zugspitze(ツークシュピッツ:2962m)へサマーシーズンに登ったときにも着ていたものだ。実に21年前である。とにかく物持ちの良い人なのだ、私は。
しかし、机から下の冷え込みに対しては、やはり何か足りない気がしたので、スニーカータイプの安全靴も履いてみた。
おかげでいくらか寒さがしのげた(まだ不十分ということ)。
ものごとは徹底しないと気がすまない風さんとしては、あともう少し工夫してみるつもりだ。
そうそう。年が明けて最初の寄贈書籍は、やはり楠木誠一郎さんからだった。『信玄の狗』(実業之日本社)。日本史全体に詳しい楠木さんからは、あらゆる時代を舞台にした作品が矢継ぎ早に送られてくる。驚嘆以外のなにものでもない。しかし、人間、ここまでやれる、という目安にはなるわけで、私もついつい徹夜を繰り返しながら頑張ってしまうのだ。
1月14日(金)「忙中閑(観)あり・・・の風さん」
元職場で月例の会議があるので、そちらへ出社した。
まだ新職場へ持ち込む資料もたくさんあるので、それらをダンボールに詰めた。ところが、中には発見できないものもあった。とても重要な資料なのにもかかわらず、である。しかし、そういった重要な資料も、冷静に考えてみると、なぜ重要だと言えるか、だ。確かに、新職場での仕事に必要である。しかも、仕事の効率を考えた場合、その重要度はとびきり跳ね上がる。だが、一方で、自分の会社での思い出という言い方からすると、非常に思い入れのある資料なのである。個人的な感情が入って、その重要度は、さらにさらに跳ね上がっているのだ。
午後、上司を現場に案内した。時間があまりなくて、丁寧な説明はできなかったが、自分の自慢したい部分だけは強調して説明した。これも、冷静に考えれば、個人的な感情がものをいって、少ない時間の中で、説明の優先順位を上げたといえる。
そんなこんなで、あっという間に時間が過ぎた。
今週も多忙で、疲れたようだ。
しかし、週末はさらに忙しい。
1月15日(土)「第三校ゲラの修正・・・の風さん」
例年この時期は下期の直木賞選考会で、新鷹会の勉強会に行くと、平岩弓枝先生がひょっこり姿を見せて、今年の候補作品はどんな感じだったかお話しつつ、我々を激励されたものだ。そうすると、直木賞もぐっと身近に感じられて、頑張ろうという気になった。あれから色々なことがあって、今は昔の物語となりつつある。
今日はとにかく児童文学の第三校ゲラの校正を完成させようと、朝から夢中で取り組んだ。
夕方までに、専門家の指摘に応える形の修正は終わった。続いて、前回の第二校ゲラの修正で残っていた課題に取り組んだ。第七章の加筆である。
これが思いのほか大変だった。徹底した修正は困難なので、描写や台詞を増やし、読みやすく直していくのである。
夜になって、急に風が強くなってきた。気温も下がって、北国の真冬のような状態だ。窓に吹き付ける風が、みぞれ混じりになってきた。
今夜も徹夜を覚悟した。ぶっ続けでやって、体力的にきつくなったら、書斎でダウンするのである。
1月16日(日)「本格的な降雪・・・の風さん」
未明に2時間だけ寝た。
書斎の床からゾンビのように起き上がって、真っ先にしたことは、ブラインドを開けて外を確認することだった。
(真っ白だ!)
一面の銀世界……というほどではないが、道路が雪でおおわれていて、クルマが通った跡もない。空は灰色で、細かな雪が舞っている。
経験的に、自宅周辺が陸の孤島になったことを知った。おそらく電車も止まっているはずだ。ノーマルタイヤのクルマでは、どこへも行けない。
当初はワイフと出かける予定だった。買い物と実家に顔を出すことと職場の新年会である。それらがすべて困難になったのである。
決断は早かった。
あちこちへ連絡した。
そして、今日も昨日の続きに取り組むことにした。
第三校ゲラの修正は、なかなかはかどらなかった。
しかし、明朝投函することを約束していたので、プロとして、それは何が何でもやり遂げなければならない。
午後になって、ときどき晴れ間がのぞくこともあったが、今さら出かけられるものでもない。しかし、少なくとも道路の雪は消えて、陸の孤島は解消されたようだ。
夕食後、修正ゲラを郵送するためのレターパックを購入に出かけた。ワイフのクルマを使った。けっこう遠くまで行かないと買えなかった。帰りには、また雪がちらついてきた。明日の天気が心配になったが、とにかく今夜も昨日と同じ徹夜態勢である。
1月17日(月)「睡眠不足でも出社・仕事・・・の風さん」
外の様子(雪が降っているのかいないのか)は気になったが、確認している余裕はなかった。
とりあえずゴールまで到達し、レターパックに詰め込み終わった後、仮眠できた時間は今朝も2時間だけだった。
(やばい。死ぬかも)
あらためて起き出して、外を見ると、道路にはまだシャーベット状の雪が残っている。ノーマルタイヤではスリップして危険である。しかし、うまく雪をかわして走ることができれば、出社できるかもしれない。微妙な感じだ。
(レターパックの投函だけはしよう。それから先は、そのとき決めよう)
朝食を摂って、ミッシェルで出発した。
走りはとっても危険な状態だった。
コンビニで投函したあとも、行けるところまで行こうと思った。
結局、ノロノロ運転だったので、製作所まで1時間かかった。
荷物を積み込んで、さらに新職場へ向かった。こちらも、ノロノロ運転で、1時間かかった。
午後からは晴れたので、本社へ出張して仕事した。
睡眠不足だったが、危険な道路状態だったので、寝惚けている余裕はなかった。
帰宅したら、児童文学のためのコラムの校正依頼がメールで届いていた。
今夜ぐらいゆっくりしようかと思っていたが、ほとんど無理となった。
1月18日(火)「学生になる夢よもう一度・・・の風さん」
結局、昨夜のコラムの校正は困難をきわめ、未明までかかった。
睡眠時間は3時間である。
しかし、気が張っているときは、何とかやれるものらしい。
雪も降っていなかったので、ちゃんと新職場に出社した。
昼過ぎからミッシェルでNS大学へ出張した。
年が明けてから、会社の仕事と鳴海風の仕事と私の個人的な趣味が合体してしまった分野が生じている。なんとも不思議な感覚だ。
とはいえ、成果をちゃんと会社の仕事に反映すれば、これは会社の仕事だと言えるだろうから、そのつもりでやっていく。
NS大学への出張もそれだ。
1時間半ほど、先生へご挨拶かたがた訪ね、さまざまな相談をしてきた。
非常に多くの収穫があったが、自分の気持ちにも大きな前進があった。
それは、NS大学への入学の意思がさらに強まったことである。
え? また社会人入学するの? と言われるだろうが、その通りだ。
問題は、体力と時間と学費である。体力は根性でカバーする。時間はマネジメントする。学費は作家業で稼ぐ。
帰宅して、ワイフにそんな話をしたら、また呆れられた。
さすがに寝不足で、今夜はさっさと寝た。
1月19日(水)「めでたい日・・・の風さん」
今日はまず旧職場へ出社した。すると、良い話があった。
若い同僚が「入籍しました」と報告に来てくれたからだ。最近は、派手な結婚披露宴をやらないケースが多く、私も驚かなくなっている。
しかし、どんなステップを踏むにしても、日本のためたくさん二世を作ってほしいとお願いすることは忘れなかった。
同僚の新妻がなぜか拙著に興味があるとのことだったので、希望の本をプレゼントする約束をした。
夕方から三重県の製作所へミッシェルで出張した。
伊勢湾岸道は横殴りの風が強かったが、背の低いミッシェルはこういうとき有利である。
目的地に近付くにつれて周囲が雪景色になって、ちょっと不安になったが、帰るときも雪が降ってくることはなかった。助かった。
帰宅したら、日本機械学会から論文の別刷りが届いていた。厳選して配らねばならない。
それから、某出版社へ提示してあった時代小説の企画がほぼ受理されたというメールがあった。これはうれしかった。初めてのエンターティンメント長編時代小説である。児童文学に続く鳴海風の領域拡大第二段である。
ちょっとフライング気味ではあるが、ワインで祝杯をあげた。
1月20日(木)「メールの怪現象・・・の風さん」
ゼロの日(10、20、30日は交通事故ゼロの日である)にもかかわらず、道路が空いていて、会社に早く着いた。
新職場のパソコンの設定にかなり日時を費やした。ほとんどは専門家がやってくれた。しかし、どうしても自分でやらねばならないこともあった。
社外からのメールだけは、ちょっと特別な方法で受信するようにしていた。その方法を旧職場のパソコンと同じように設定する必要があったのだ。
アカウントの設定やIPアドレスなどは問題なかったが、パスワードで困った。
旧職場で長年同じパスワードを使っていたため、パスワードそのものを忘れてしまったのである。
よく使うパスワードから順番に入力して試したのだが、次々にエラーになり、5つ目がアウトの段階で、精神的に追い込まれてしまった(笑)。
作業を中断して頭を冷やしてみた。
再開して、7つ目がアウトになって、ほとんど絶望的な気分になった。
8つ目からは、自分でも使った記憶のないパスワードを試すことになった。
そして、もうこれが最後と思って入力した10個目のパスワードが、奇跡的にヒットしたのである。
帰宅して、自宅へ届くメールを、そのアドレスへ転送する設定もして、ひと安心したのが今週の始めだった。
ところが、なぜか今度は、私へ送ってくる人に対して、エラーメッセージが届くようになってしまった。「届いていますか?」という確認メールが来るのである。
この怪現象はまだ続きそうである。
1月21日(金)「ケータイを置き忘れる超ドジな奴・・・の風さん」
今夜は飲み会なので、電車で出社した。
一気に新職場まで行こうとすると、出発が異常に早くなってしまう。そこで、第一ベースキャンプともいうべき旧職場、製作所へ向かった。
電車から会社バスへ乗り換える駅から外へ出たとき、近くのベンチの上にケータイがのっているのを発見した。すぐ近くに若者がいて、ケータイを操作していた。一人で2台持っている生意気な奴はときおり見かけるので、さりげなく観察していたら、やがて迎えの車がやってきた。そのまま乗り込もうとしたので、ベンチの上のケータイを注意したら、自分の物ではないと即答された。どうやら、そいつも気付いてはいたらしい。
こっちのバスの時間もせまってきたので、本意ではないが、駅のとなりの交番へ届けに行った。
警察に対しては良い感情を持っていないので、やりたくない。ケータイを置き忘れる奴も超ドジに決まっているが、悪意のある奴にケータイを取られたら気の毒なので、届けるのだ。
交番の中はもぬけの空だった。
(!)
午前中も午後も非常に忙しかった。これでは24時間息つく余裕もない。しかし、仕方ない。1年の始まりは元旦……じゃなくって、この1月にある。1月のスタートダッシュが、充実した1年を約束してくれるだろう。
夜は、本社近くの会社の施設で新年会だった。
新しい職場の新年会で、初参加である。
立食式でなく、テーブルについて、というのも、楽だった。
調子に乗ってビールを飲んでいたら、料理を運んできてくれた女性から、
「これ、お客様のではありませんか?」
と床に落ちたものを指摘された。
「あっ!」
益川先生から頂戴したケータイストラップが、金具から外れて落ちていた!
ケータイを置き忘れる奴を笑えなくなった。
1月22日(土)「原稿執筆の生産性向上方法?・・・の風さん」
書き入れ時の週末がやってきた。今週はどれだけできるだろうか。
今日は先ず、S社向けのやりかけの原稿を最後まで仕上げなければならない。
同時並行でたくさんの原稿に取り組んでいるが、毎日それらをすべて少しずつやるなんて芸当は、私にはできない。集中して取り組みしかないのだ。それが同時に複数の仕事に取り組む正しいやり方なのかどうかは、まだ分からない。
長年経験している会社の仕事について言えば、マネージャーの仕事であれば、同時並行だらけで、きわめて多くなる。しかし、若い頃、一担当者として仕事をしているときは、そんなに多くの仕事を同時にやっていたわけではない。そして、複数あったとしても、メインとサブが明瞭に区別できた。
執筆はどうだろうか。基本的に一担当者の仕事である。そして、複数の仕事はメインとサブに分かれていない。すべてメインである。なぜかというと、私が主役だからだ。
おまけに執筆は芸術活動だ。きわめて創造的な仕事である。ひらめきも必要なのである。単に時間があればできるものでもない。……やはり、難しい。
S社向けの原稿がゴールまでたどり着いたのは、午前3時だった。明晩、もう一度見直さないと、提出はできない。
1月23日(日)「1年365日休みなし・・・の風さん」
やはり早起きはできなかった。昼前に起床するのがやっとだった。
外はまずまずの陽気だが、外出はできない。今日は明後日の講演の準備をしなければならないからだ。
時間の使い方の中身は色々と変わってきているが、もう長いこと「完全な1日お休み」をとったことがない。せいぜい入院して動けなかったあのときぐらいだろうか。だから、入院したくて、手術という大胆な決断もしたのだった(もう懲り懲りだが)。
講演は、地元の図書館の依頼によるものだ。配布資料があるなら今日中に、と言われていたので、先ずその準備をした。いくら地元でも持参すると、それなりに時間がかかる。電話で簡単に確認してから、メール添付で届けた。
それからスライドの準備にとりかかったが、過去のスライドで使えるものは極力使うことにして、あれこれと考えているうちに、また膨大な量になってきた(笑)。
夕食前に一段落させた。まだ、今夜中に送らなければならない、書きかけの原稿があるからだ。
ところが、夕食時にワインが出た。飲みたいからワイフがワインを出したのだ。仕事中の私の足を引っ張ることになるのは承知の上だ。こういうのを確信犯という。
結局、夕食後すぐ風呂に入って、その後雑用をしながら、酔いをさますことにした。
原稿がだいたい仕上がったのは午前1時半だった。
夕食時に残ったワインで、ワイフと祝杯をあげた。
こんなに早く仕事を終えることができるとは思わなかった……が、そうではなかった。また、連載原稿ができないまま週が明けてしまった。
1月24日(月)「週が明けてもバタバタは変わらず・・・の風さん」
今日はミッシェルでの移動が多いにもかかわらず、ガソリンがあまり入っていなかった。とはいえ、給油するスタンドは決めているので、都合のよいスタンドに寄って、という気はない。T製作所へ着く前に、セルフで1000円だけ給油して、とりあえず帰りまでもたせることにした。
T製作所での定例会議のあと、旧職場に移動して仕事をし、午後から新職場へ出社した。
新職場のPCの設定を少しずつやっていて、今日は、お気に入りURLのインポートと、ユーザー辞書の整備をし、かなり使えるレベルまで近付いてきた。毎日バタバタしているが、今日ようやく業務計画表の作成に着手した。早く完成させたい。
帰りにしっかり給油した。
小寺先生から大阪弁チェック済み原稿が届いていた。ありがたい。
昨年の小栗上野介フォーラムのやりとりが掲載された「たつなみ」が届いた。月日がたつのは早い。
明日の講演のスライド作成をしなければならないのだが、イマイチひらめかない。そこでワイフにあれこれしゃべりながら、ひらめきを待ったのだが、そのままソファで寝込んでしまった。
寒くて目が覚めたら午前1時だった。
それからひとっ風呂浴びて、書斎へこもった。
1月25日(火)「地元の図書館にお礼奉公・・・の風さん」
今朝、講演準備がだいたい完了したのは、午前5時だった。
それから少し仮眠して(書斎の床で)、普通の顔して出社した。いちおう講演の準備はすべてミッシェルのトランクに入れて、である。
昼食後の動きは早かった。身の回りを片付け、超高速で歯も磨いて、会社を出発した。
有料道路を突っ走って、地元の図書館に着いたのが、指定されていた午後1時ちょうどだった。
準備は何の問題もなく整った。モバイルのアプリルとプロジェクターの相性がよければ、こんな感じだが、悪いと、画面の解像度の調整にてまどる。
図書館長を中心とする愛知県の図書館協議会の例会での講演である。地元の図書館が持ち回りの幹事が回ってきたので、地元在住作家に依頼してきたわけだ。
私は、1時間半、図書館と歴史小説家の関係について語った。
たいへんお世話になっている地元の図書館へ少しは貢献できてうれしかった。
普通なら帰宅してすぐダウンし、睡眠不足を補うところだが、だめだめ、まだやることがある。
明日の出版社との打ち合わせの準備である。
帰宅して、夕食までと、その後、出発するまで、眠いのを我慢しながら頑張った。
それでもできなかったので、名古屋へ出る電車の中でも続けた。
もうこのあたりで、今夜の行動がばれたと思うが、名古屋に着いて、コンビニでアルコール飲料を購入し、23時発の夜行バスに乗り込んだ。
1月26日(水)「まるで作家のような1日(笑)・・・の風さん」
新宿駅西口付近に着いたのは6時少し前だった。
昨夜飲んだお酒は、チョコレート風味のハイボールだった。やけに新鮮さがあったせいか、死にそうなほど疲れていたせいか(きっと後者だろう)、ほどよく酔って爆睡してしまった。
打ち合わせ開始の9時直前まで、喫茶店でゲラ修正に取り組んだが、最後までたどり着けなかった。
児童文学は挿絵や目次のページの絵などが完成していて、非常に満足した。気分は最高である。表紙カバーも今日中に決まりそうで、3月上旬の出版が待ち遠しい。
続けて、画家の高山ケンタさんと一緒に、品川のギャラリーオキュルスへ向かった。出版記念・原画展をやるので、その挨拶に行きたかったのだ。
オーナーの渡辺東さんからの提案で、オープニングパーティでは、生演奏も入れようということになった。他にも夢のある話が出て、心身共めいっぱいでやっている私は、また元気が出た。
午後からは、地下鉄を乗り継いで、S社へ向かった。
初めて訪れる出版社である。老舗であり、そこから出してもらえるとなると、私のようなものにとっては名誉以外のなにものでもない。
第1章分の原稿を出してあったので、その完成度を上げていくより、すぐ第2章分の原稿に着手することとそのテーマも決めた。
続けて、今日最後の打ち合わせのため、また地下鉄を乗り継いで、SPホテルの喫茶室へ。
こちらは作品の詳細なあらすじを提出してあった。
編集長も来てくれて、企画は受け入れられた。なごやかなムードの中で、編集長や編集者からもアイデアや提案がたくさん出て、私自身も、良い作品になりそうな気がしてきた。
ときおり小雨がぱらつく東京だったが、充実した1日を過ごすことができた。
帰りの新幹線の中でも、やりかけのゲラの修正に取り組んだ。
帰宅してからも、その続きをやった。明朝までに送る約束をしていたからだ。
気分が盛り上がっているうちに、やれるだけやっておくしかない。
1月27日(木)「ミッシェルは電気自動車でなくてよかった・・・の風さん」
結局、修正が終わって、メール添付して送信まで終わったのは、今朝の5時だった。
それから少し仮眠して、平然と出社した。しかも、いつもよりやや早く。
今日は、朝のうちに、なるべく早くやらねばならないことがあった。パソコンを立ち上げて、会社のシステムで処理するのだが、いきなりトラブルに見舞われた。マウスが働かないのだ。自前のワイヤレスタイプである。充電電池が切れたらしい。
すぐに会社のコード付マウスに交換してみたが、これが動作しない。壊れているのかも。
慌てているうちに、どんどん時間が経過する。今日の予定が始まってしまうと、次に操作できるのは昼休みになってしまう。
こういう緊迫した場面はけっこう冷静に行動できる風さんなので、どうしたかというと、自前のワイヤレスマウスから充電電池を外して、会社の急速充電器にセットした。
待つこと数分。急いで、ワイヤレスマウスに再セット。1分間動作すれば、その間に処理してしまえばいいのだ。
しかし、この見込みは甘かった。
本当に1分間ほどでまた電池が切れてしまったのだ。処理は途中である(笑)。
タイムリミットだった。諦めて、今度はしっかり充電することにした。
世の中、すぐにも電気自動車が普及しそうな雲行きだが、そんなことはない。今朝の私と同じことが待っている。現在の電池技術では、液体燃料のように安心してロングドライブできないのだ。遠くへ行こうと思ったら、100kmに1回は充電が必要だろう。寒かったり暑かったりしたら、電池のパワーは落ちるし、エアコンのために電池の消耗は激しくなる。ロングドライブは諦めたほうがいい。
会社のシステムを使った処理は、昼休みに落ち着いてやることができた。自前のマウスも、充電十分である。
夜8時を過ぎて、帰ろうと外へ出たら、雪が降り出していた。
ミッシェルのハンドルを握りながら、ミッシェルが電気自動車でないことを幸運に思った(何気取ってやがる)。
エンジンをかけ、何の心配もなくライトを点灯し、ヒーターをつけて走った。
ミッシェルの走行距離は、159000kmを超えた。
1月28日(金)「運は上昇中・・・の風さん」
今夜は名古屋で部次長会(立食パーティ)があるので、電車で旧職場へ出社した。
充電式カイロをポケットをしのばせて、寒さ対策をした。これも充電電池だ。昨日のことを思い出す。
甲斐萬里江先生訳の創元推理文庫『修道女フィデルマの洞察』をカバンに入れた。電車の中で読むつもりだ。
今日は、私が設計した設備改造工事を実施した。
自信をもって設計したのだが、結果は失敗だった。今回用意した部品と接触する本体の精度が悪いことを考慮しなかったため、そこからエアーが漏れるのである。相手側の設備が悪くても、これは、私の設計ミスということだ。
改善工事は、後日、再挑戦となった。
工事以外にもやることがいっぱいあって、忙しい1日だった。
部次長会の楽しみは抽選会である。
毎回豪華な賞品が出るので、それが狙いで万難を排して参加する。その抽選会の前に、社長の話もおとなしく聞くわけだが、今年はドタキャンしたという。来たからといって真剣に話を聞くわけではないが、来ないことは大問題である。昨今の厳しい経済情勢の中、上から下まで元気をつけて、売り上げを増やすべく行動させるのが社長の役目である。立食パーティは社員とのコミュニケーションをはかる絶好のチャンスなのだ。それに来ないというのは、社長としての危機意識が欠如しているように思える。
抽選会では、何も当たらなかったが、当選番号はかなり近いものがあった。これは幸運が近付いている証拠である。きっと運勢は上昇していくだろう。
帰宅するまでに、持ってきた文庫の中の短編を1本読み終えた。
家に着いて、まだ酔いが残っていたが、抽選会の幸運が間違いないことを確かめるため、年賀状の当選を調べた。すると、切手シートが8本も当たっていた。(確率論から導かれる)期待値の2倍当たったことになるので、これは自然な結果ではない。
今年はきっと良い年になる。
1月29日(土)「充実した文章サークル・・・の風さん」
久しぶりにベッドでちゃんと寝た(笑)。どうも年が明けてから書生にでもなったような感じだ。やたら気分だけ高揚していて、仕事は空回り。でも、やらなければいけないことは、たとえどんなに時間をかけてでも、結局はやるので、気分が高揚している(本人は使命感に燃えているつもり)良い効果がない。
それにしても寒いな。1年で最も寒い時期だ。比較的気温の高いうちに灯油を屋外のタンクに入れておこう。
今日は今年最初の文章サークルなので、その準備をしなければならない。そうだ。写真を印刷して配ろう。昨年末の山本悦子さんに来てもらったときのスナップ写真だ。それから、日曜版に出ている300文字小説の半年分の表彰結果が出ていたから、それも、コメントしておこう。
夕方に向かってますます気温が下がっていった。
時間が来て、いつものように慌てて飛び出して行ったが、薄着のままだった(笑)。
今日のサークルには2本の作品が持ち込まれ、皆で議論してとても勉強になった。サークル内には懸賞で入賞するほど力のある人もいるので、当初は、私の実験的な試みでスタートしたものだったが、本格的なサークルに成長できるかもしれない。
1月30日(日)「連載原稿に集中・・・の風さん」
今日はワイフと買い物に行く相談をしていたが、お互いに忙しくなってしまい、中止した。
私は何が何でも連載原稿を仕上げて送らなければならない。もう1ヶ月も遅れているのだ。
いつもの徹夜にならないように、ちょっと工夫してみた。余計なことをなるべくしないようにして、集中する工夫である。
今日は昨日よりも寒い。朝の最低気温はマイナス3℃。日中の予想最高気温もやっと4℃だった。
これだけ空気が冷えていれば、さぞかし頭脳は冴えて、執筆がはかどるだろうと思いたいのだが、そうは問屋が卸してくれない。
贈呈本が届いた。甲斐萬里江さん訳の修道女フィデルマ・シリーズの新作である。創元推理文庫『死をもちて赦されん』。このアイルランド文学は、かなり昔の話で、日本でいえば戦国時代くらいのミステリ小説である。アイルランドの風俗がふんだんに出てくるので、最初はとっつきにくかったが、翻訳が翻訳らしくないとても読みやすい文章でスラスラ読める。
ああ、読みたい本がいっぱいあるなあ。
そう思いながら、また執筆マシンへ向かった。
結局、あっという間に午前零時が目の前にやってきた。
メール送信もすべて終えてベッドにもぐりこめるのは、いったい何時になるだろう?
1月31日(月)「1日に2度就寝?・・・の風さん」
結局、連載原稿は今朝の4時までかかってしまった。
出社まで時間はあまりなかったが、いちおうベッドで寝ようと思って、もぐりこんだが、寒くてなかなか寝つかれなかった。
今日は、先ず、旧職場(製作所)へ出社した。
会議があったので、雑用はあまり処理できなかった。
午後から新職場へ移動した。
こちらも夢中で仕事をしているのだが、さっぱりはかどらない。やっぱり認知症か。
帰りにミッシェルに給油して帰宅した。
届いていた連載原稿のゲラの校正チェックをして出版社へ送信した。
明日は朝が早いので、午前零時前にベッドにもぐりこんだ。今日2回目だな。
2011年2月はここ
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